こんにちは。
レス不要でコメント下さいました方々、ありがとうございます♪心の潤い100%です

さて、仲間内だけで通じる言い回し、と言うのはどこにでもあると思います。例えば家族や友人との会話の中で、いちいち名前を出さずに称号だけで呼んでも通じるのは、背景にある事実を共有していると言う仮定の上に成り立っているからです。「おじさん」「先生」「社長」なんかですね。
こちらを覗いて下さっている皆様と私の間では「若大将」と言えば赤慎ちゃんですが、一般の方はK山さんになるのでしょう(古いね)
もともとうちでは芸能人でリーダーと言えば赤信号のW辺さんでした。まあほとんど会話にのぼる事はないのですが。最近、私が慎ちゃんの中の人のグループに嵌ったせいで、リーダー=O野さんになりました。が、色々と深みに嵌るうちに「リーダー」が増えていくんですよねぇ。
某巨大掲示板で「J事務所のリーダー」と言えば東京兄さんのJ島さんです。旦那が最近そこの住人になってしまったので、旦那にとってのリーダーはJ島さんです。私も最近、東京兄さん贔屓なのでJ島さんのつもりでリーダーと言う事もあります。更に、最近V六に嵌った私にとってはS本さんもリーダーです。話している現場は大混乱ですよ。同音異義語が増えたようなもんですから。
似たようなことで「閣下」は誰か、と言う問題も生じております。ローゼン閣下(元首相A生太郎氏)、デーモンK暮閣下、T肌実閣下、なんかですね。ワイドショーにK暮氏が出ていて、なおかつ政治が話題になっていたりするともう大変です。見ているこちらでは残りふたりの閣下も政治繋がりで話の中に出てきますから、訳の判らない事になるんですよw
「少佐」は誰か、って言う問題もありましたね。これは答えによって年齢が判ったり。私ですか?もちろん少佐と聞かれればNATOの某情報部将校であるイノシシ少佐一択ですよw ははは、年がバレますね。
ここに挙げたのはしょうもない例ばかりですが、上記のような「概念を共有している」と言う仮定、あるいは幻想の上に組み立てられているものが社会であり民族なのだろうなーと、乱暴な結論を出してこのお話を締めくくっておきます。