女子力アップと言うこと
こんにちは!
拍手、コメントなど温かいお言葉と応援をありがとうございます。
最近、なんだかこんな駄文を書いては晒している自分が段々イヤになってきたのですが、たとえ少々だとしても拙作を読んで暇つぶしにして頂けるのなら、もう少し頑張っても許してもらえるのかなーと、虫のいいことを考えています。
本当にこんな所にお付き合い下さる皆様に心からの感謝を申し上げます。
続きは日記みたいな戯れ言みたいな。
さて、ずっと以前から理系の教養こそ良妻賢母の心得、との自画自賛的な思いを抱いております。図々しいことこの上ありません
だって身の回りは最先端科学技術で溢れています。科学の教養がなければとても全部理解はできません。身の回りに「自分が判らないこと」があるのってすごく気持ちが悪いんですよ。怖いですからね。
で、子供が生まれたとき、これからは自然に優しい生活をしよう!と多くの母親と同じ思考に嵌ってしまったわけです。洗剤は使わない、サプリは使わない、化学調味料は使わない、食品添加物は悪、無農薬野菜は正義、有機野菜は正義、国産品至上主義、昔ながらの製法で作られた調味料以外は使わない、テレビはNG、電子音の出るものは不可、木の玩具こそ至高、と絵に描いたような「自然派主婦」生活をはじめました。
洗剤は子供の口に入れない方がいいだろうと言うことで食器用だけやめてアクリルたわしで擦るだけ。衣類については石鹸よりも合成洗剤の方が量が少なくてすむ分、環境負荷が低いとのことでしたのでこちらは普通に。
サプリメントは子供が「食品から養分を吸い取って自分で合成する」力を削ぐような気がしたので使いません。
化学調味料はその頃はグルタミン酸ナトリウムが主でしたので、旨味への感受性がグルタミン酸のみ発達するのではないかとの予想からほぼすべてを排除しました。昔ながらの調味料はこの点をクリアしている上、今までのあれはなんだったんだと言うくらい美味しいので、多少高くても醤油と味醂と味噌だけは今でも高いのを買っています。スーパーの安売り品の四倍はしますが、それらが茶色い塩水と色のついた砂糖水に思えるくらい美味しいですよ。
テレビは一方通行の情報伝達は、子供の言語習得を妨げると言う学説を読んで実行。これは小学校入学前まで続けました。おかげで家族揃ってその時代の事件や有名人をよく知らなかったり。特に仕事場へ行くまで911を知らなかったときは、流石に不味いと思いましたが・・・
電子音については子供の玩具によくついてくるんですよね。音が鳴ると子供が面白がるからなのですが、電子音の方が安上がりですから色んなものから電子音がします。電子音は要するに振動素子ですから出せる音波の周波数帯域があまり広くはありません。なので自然の音、鉄筋やピアノの振動音などを聞かせて育てる場合に比べて、耳の可聴域の発達が悪くなるのではないかとの懸念して除去しました。
上のふたつに絡めて、子供に与える音声刺激は母親の声が一番だと言うことで、歌を聴かせる時は全部生歌にしました。たくさんの音を聞き分けることの出来る新生児ですが、自分の世話を最も良くしてくれる人間―大抵は母親ですが―の話す言葉の周波数の聞き取りを最優先し他を排除することで母語の獲得を行うのだそうです。日本人がいくら勉強しても英語が苦手なのは、日本語の周波数が英語のそれと大幅にずれているからとかなんとか。
まあそれで、どうせ歌うなら日本の歌ってことで、もの凄くたくさんの童謡や唱歌を覚えましたよ。我は海の子とか一寸法師とか浦島太郎とか、全曲歌えるのは少し自慢だったりします。で、せっせと歌ってあげていたのですが、この手法に重大な誤りがあることに気付いたのはだいぶ後になってからでした。そう、私の音痴がそのまま伝わってしまったのです
まあ子供本人の努力によってあとあと取り返しましたが、そりゃ音痴の歌を聴いて育てば音痴になるわな、と言う当然の結果を検証するはめになりました
プラスチックよりも木の玩具にしたのは、後者の方が手触りが複雑ですから触覚がより発達するだろうとの考えからです。
このあたりは満足な成果が出たものです。
次からは誤解や間違いであったもの。
無農薬野菜は虫がつきやすいため、苦味やえぐみが増します。これは野菜自身の自己防衛機能が働き、虫に対して毒となるような物質を分泌するからだそうで、成分的には農薬とあまり変わらないうえ洗っても落ちないと言う点では農薬野菜の方がましと判断してやめました。
次に有機野菜ですが、従来の意味での有機栽培野菜には寄生虫がいること、付いた土から破傷風になる危険があることなどから、デメリットの方が大きいのでやめました。次に広い意味での有機野菜ですが、夫の実家で「有機肥料」と書かれた袋入りの配合肥料を見て、あんまり意味ないなと感じたのでこれも特に拘らなくなりました。それよりも旬の路地物野菜の方がからだに良さそうですし。
最後に食品添加物です。合成保存料など論外だと思っていたのですが、ある掲示板で興味深い議論をしてから考えを改めました。そのときは食品の安全な保存に付いて色々と議論していたのですが、圧倒的多数の冷凍派に対して、ひとりだけ合成保存料派がいました。
彼の主張はこうです。現在食品に使われている合成保存料の安全は科学的に検証済みで長期的な使用による人体への影響はほぼゼロに等しい。非常に安価な薬品を極微量使うだけで充分効果がある。合成保存料摂取に対するリスクを減らすことで起きる食中毒のほうが何十倍もリスクが高い。ましてや、エネルギーを使いまくって冷凍するコストを考えれば、社会や環境への負荷は合成保存料のほうが遥かに低い。合成保存料を使う方が合理的。
これにはがつんと頭を殴られたようなショックを受けました。どう考えても彼の主張の方が正しいからです。我々はリスクとハザードをともすれば混同しがちです。ハザード(危険物)の完全排除は生活している以上不可能なのですから、全体を見てリスクが低い方を選ぶのは至極当然です。この当たり前のことがなされていない、もしくは評価されていないのが現代社会のひずみのひとつですよね。
ここから化学調味料に関しても考えが変わりました。今まで捨てるしかなかった最低のクズ肉も合成保存料と化学調味料の力で、ハムやベーコンなどとして美味しく食べることが出来るのです。このふたつの発明によってどれほど多くの人が飢えから救われたでしょう。決して排除するべき物ではないのです。
さて、理系とはなんでしょう?
理系とは科学的合理性を軸とした論理性を身につけることだと思ってます。経験を系統化し、理論体系を組上げて応用し、反証が出たら再構築して発展させると言う形で科学は発展してきました。科学至上とは思っていませんが、今のところ最も有用な「世界」の説明法のひとつであることは誰も否めないでしょう。
高度に発展した日本の社会では、身の回りは科学で溢れています。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、携帯、電子レンジ、洗剤、歯磨き、入浴剤、ビニール袋、ペットボトル、化学繊維、発泡スチロール、合成樹脂、化学調味料、合成保存料。ガスも電気も水道でさえも科学の裏付けなしには使えなかった物ばかり溢れています。
エコロジーとか環境問題とか色々と喧伝されていますが、自分の行いが合理的であるかどうか一人一人でやっていくためには理系の教養は必要不可欠です。これらはみな家庭や家族の問題に直結しているのですから、一家の奥向きを取り仕切る女主人として、主婦に求められているものは実は大変重要で難しいものなのです。
真の意味で社会から求められている「女子力」ってこう言うものだと思います。
やや強引な結論をこじつけて、長文戯れ言の締めといたします。
ご精読、ありがとうございました。
双極子拝
拍手、コメントなど温かいお言葉と応援をありがとうございます。
最近、なんだかこんな駄文を書いては晒している自分が段々イヤになってきたのですが、たとえ少々だとしても拙作を読んで暇つぶしにして頂けるのなら、もう少し頑張っても許してもらえるのかなーと、虫のいいことを考えています。
本当にこんな所にお付き合い下さる皆様に心からの感謝を申し上げます。
続きは日記みたいな戯れ言みたいな。
さて、ずっと以前から理系の教養こそ良妻賢母の心得、との自画自賛的な思いを抱いております。図々しいことこの上ありません

だって身の回りは最先端科学技術で溢れています。科学の教養がなければとても全部理解はできません。身の回りに「自分が判らないこと」があるのってすごく気持ちが悪いんですよ。怖いですからね。
で、子供が生まれたとき、これからは自然に優しい生活をしよう!と多くの母親と同じ思考に嵌ってしまったわけです。洗剤は使わない、サプリは使わない、化学調味料は使わない、食品添加物は悪、無農薬野菜は正義、有機野菜は正義、国産品至上主義、昔ながらの製法で作られた調味料以外は使わない、テレビはNG、電子音の出るものは不可、木の玩具こそ至高、と絵に描いたような「自然派主婦」生活をはじめました。
洗剤は子供の口に入れない方がいいだろうと言うことで食器用だけやめてアクリルたわしで擦るだけ。衣類については石鹸よりも合成洗剤の方が量が少なくてすむ分、環境負荷が低いとのことでしたのでこちらは普通に。
サプリメントは子供が「食品から養分を吸い取って自分で合成する」力を削ぐような気がしたので使いません。
化学調味料はその頃はグルタミン酸ナトリウムが主でしたので、旨味への感受性がグルタミン酸のみ発達するのではないかとの予想からほぼすべてを排除しました。昔ながらの調味料はこの点をクリアしている上、今までのあれはなんだったんだと言うくらい美味しいので、多少高くても醤油と味醂と味噌だけは今でも高いのを買っています。スーパーの安売り品の四倍はしますが、それらが茶色い塩水と色のついた砂糖水に思えるくらい美味しいですよ。
テレビは一方通行の情報伝達は、子供の言語習得を妨げると言う学説を読んで実行。これは小学校入学前まで続けました。おかげで家族揃ってその時代の事件や有名人をよく知らなかったり。特に仕事場へ行くまで911を知らなかったときは、流石に不味いと思いましたが・・・
電子音については子供の玩具によくついてくるんですよね。音が鳴ると子供が面白がるからなのですが、電子音の方が安上がりですから色んなものから電子音がします。電子音は要するに振動素子ですから出せる音波の周波数帯域があまり広くはありません。なので自然の音、鉄筋やピアノの振動音などを聞かせて育てる場合に比べて、耳の可聴域の発達が悪くなるのではないかとの懸念して除去しました。
上のふたつに絡めて、子供に与える音声刺激は母親の声が一番だと言うことで、歌を聴かせる時は全部生歌にしました。たくさんの音を聞き分けることの出来る新生児ですが、自分の世話を最も良くしてくれる人間―大抵は母親ですが―の話す言葉の周波数の聞き取りを最優先し他を排除することで母語の獲得を行うのだそうです。日本人がいくら勉強しても英語が苦手なのは、日本語の周波数が英語のそれと大幅にずれているからとかなんとか。
まあそれで、どうせ歌うなら日本の歌ってことで、もの凄くたくさんの童謡や唱歌を覚えましたよ。我は海の子とか一寸法師とか浦島太郎とか、全曲歌えるのは少し自慢だったりします。で、せっせと歌ってあげていたのですが、この手法に重大な誤りがあることに気付いたのはだいぶ後になってからでした。そう、私の音痴がそのまま伝わってしまったのです


プラスチックよりも木の玩具にしたのは、後者の方が手触りが複雑ですから触覚がより発達するだろうとの考えからです。
このあたりは満足な成果が出たものです。
次からは誤解や間違いであったもの。
無農薬野菜は虫がつきやすいため、苦味やえぐみが増します。これは野菜自身の自己防衛機能が働き、虫に対して毒となるような物質を分泌するからだそうで、成分的には農薬とあまり変わらないうえ洗っても落ちないと言う点では農薬野菜の方がましと判断してやめました。
次に有機野菜ですが、従来の意味での有機栽培野菜には寄生虫がいること、付いた土から破傷風になる危険があることなどから、デメリットの方が大きいのでやめました。次に広い意味での有機野菜ですが、夫の実家で「有機肥料」と書かれた袋入りの配合肥料を見て、あんまり意味ないなと感じたのでこれも特に拘らなくなりました。それよりも旬の路地物野菜の方がからだに良さそうですし。
最後に食品添加物です。合成保存料など論外だと思っていたのですが、ある掲示板で興味深い議論をしてから考えを改めました。そのときは食品の安全な保存に付いて色々と議論していたのですが、圧倒的多数の冷凍派に対して、ひとりだけ合成保存料派がいました。
彼の主張はこうです。現在食品に使われている合成保存料の安全は科学的に検証済みで長期的な使用による人体への影響はほぼゼロに等しい。非常に安価な薬品を極微量使うだけで充分効果がある。合成保存料摂取に対するリスクを減らすことで起きる食中毒のほうが何十倍もリスクが高い。ましてや、エネルギーを使いまくって冷凍するコストを考えれば、社会や環境への負荷は合成保存料のほうが遥かに低い。合成保存料を使う方が合理的。
これにはがつんと頭を殴られたようなショックを受けました。どう考えても彼の主張の方が正しいからです。我々はリスクとハザードをともすれば混同しがちです。ハザード(危険物)の完全排除は生活している以上不可能なのですから、全体を見てリスクが低い方を選ぶのは至極当然です。この当たり前のことがなされていない、もしくは評価されていないのが現代社会のひずみのひとつですよね。
ここから化学調味料に関しても考えが変わりました。今まで捨てるしかなかった最低のクズ肉も合成保存料と化学調味料の力で、ハムやベーコンなどとして美味しく食べることが出来るのです。このふたつの発明によってどれほど多くの人が飢えから救われたでしょう。決して排除するべき物ではないのです。
さて、理系とはなんでしょう?
理系とは科学的合理性を軸とした論理性を身につけることだと思ってます。経験を系統化し、理論体系を組上げて応用し、反証が出たら再構築して発展させると言う形で科学は発展してきました。科学至上とは思っていませんが、今のところ最も有用な「世界」の説明法のひとつであることは誰も否めないでしょう。
高度に発展した日本の社会では、身の回りは科学で溢れています。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、携帯、電子レンジ、洗剤、歯磨き、入浴剤、ビニール袋、ペットボトル、化学繊維、発泡スチロール、合成樹脂、化学調味料、合成保存料。ガスも電気も水道でさえも科学の裏付けなしには使えなかった物ばかり溢れています。
エコロジーとか環境問題とか色々と喧伝されていますが、自分の行いが合理的であるかどうか一人一人でやっていくためには理系の教養は必要不可欠です。これらはみな家庭や家族の問題に直結しているのですから、一家の奥向きを取り仕切る女主人として、主婦に求められているものは実は大変重要で難しいものなのです。
真の意味で社会から求められている「女子力」ってこう言うものだと思います。
やや強引な結論をこじつけて、長文戯れ言の締めといたします。
ご精読、ありがとうございました。
双極子拝
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