平成アイドル考
関東地方は梅雨明けした途端に冷夏突入です。皆様如何お過ごしでしょうか。各地の農作物が心配です。ちゃんと出来るといいなぁ。
さて、暇を持て余して下らないことを色々と考えております。先程、しやがれのH山アニキの回を見直して考えてみたことです。
以下、寡聞故の思い込みによる私見が並んでおりますが、異論をお持ちの方を否定する意図は全くございません。
さて、暇を持て余して下らないことを色々と考えております。先程、しやがれのH山アニキの回を見直して考えてみたことです。
以下、寡聞故の思い込みによる私見が並んでおりますが、異論をお持ちの方を否定する意図は全くございません。
さて、このブログでも度々取り上げている、と言うかただ今ド嵌り中の某国民的アイドルグループの皆さんが、毎週速攻でアニキに色々教わる「×××にしやがれ」と言う番組、事務所の先輩が出てくる回が特に好きです。
東京兄さんのM兄ぃの回、K分くんJ島リーダーの回なんかがたのしかったですねぇ。局の関係か、V六兄さんが来た覚えがないように思いますが、それが残念です。S本リーダーが対決番組に出たのがとても楽しかったので是非実現して欲しいなぁ・・・
H山さんが二回目に来た回、H山アニキに突っ込んだり一緒に往年の名曲を踊ると言う企画の日でした。H山さんは私と同世代で、彼の全盛期が丁度青春時代(古いね)に相当します。その頃は「アイドルなんて」と斜に構えていたので全く興味がなかったのです。それでもテレビが文化と情報の発信基地だったあの頃、そんな私でも彼らの持ち歌を歌える位、有名でした。しかし、優男振りがどうにも我慢出来なくて好きではありませんでした。どっちかと言うとむさ苦しいタイプの方が好きだったりw
さて、あの当時ですらS年隊の優男振りが気に喰わなかったと言うのに、Aさん達五人と並べて比べるとH山さんは格段に男らしいことに気付きました。H山さんとAさん達の間にはおよそ20年、二昔の差があります。求められている「理想の男」像の変化が感じられてとても興味深いです。
今も昔もJ'sアイドルの特徴は「中性的で優しい」少女漫画の主人公のような人物です。甘いマスク、すらりとした細い身体、優しい性格で男臭さを誇示せず、その時々で「女の子に都合の良い男の子」であることが求められています。
H山さんとAさん達の決定的な差は「男らしさ」だと思います。
番組を見ていて気付いたのですが、Aさん達って「無理無理」「だめ、できない」ってはっきり言うんですよ。すぐにくっ付いてその後を相談したり、へたれてみせたり。つまり、自分たちの「弱さ」を見せることに全く抵抗がないんですよね。
「男は弱みを見せない」「男は人前では泣かない」「男子に二言なし」「武士は食わねど高楊枝」などなど、昭和の常識で男が持つべきものとされていた「美徳」をほとんど持っていないのです。これらの男らしさ、古来の言葉では「益荒男振り」と言いますが、これは女らしさの基本である「手弱女振り」と対になっています。「夫唱婦随」「女三界に家なし」「男女七歳にして席を同じうせず」「良妻賢母」「女賢うして牛売れず」などなど。
生まれた時から男女共同参画社会だった世代がもう大人になっています。女が強くなるに従って男が弱くなっていったのです。とても興味深い現象だと思います。
日本社会の特徴だと思うのですが、社会にかかる負荷を最小限にとどめようと言う同調圧力が存在するようです。争より和、譲り合いと日和見と性善説のもと、厳しい自然環境の中で身を寄せ合うように自分たちを守ってきた日本人たち。責任を分散しリーダーシップを好まず、出る杭を打って「常識」から外れる者を排除することによって社会を維持してきたのです。これらの特徴は、国際人として恥ずかしいとか国際社会に対応できない古い考え方などど否定的に見られることが多いですよね。でも考えてみてください。上記のような「常識」に従ってやってきた挙句、出来上がったのは、世界一清潔で安全で安定した国です。否定的に捉えること自体がおかしいことをお判り頂けると思います。まあ尤も、否定からの自省が、努力の動機となり、それが日本の発展の牽引力になっているのが否めない点が難ですが。
話が逸れました…
日本社会は自らが負う社会全体のポテンシャルを最小にするような同調圧力を持つのではないかとのはなしでした。
社会の構成要素として、借りに力と愛の二つを考えてみます。力は、権力や政治、産業などを表します。どちらかと言えば、破壊と暴力を伴う建設で、言うならば荒事でしょうか。愛の方は、生殖や保護、社会の安定化を担う優しさの部分で、和事ですかね。
さて、昔から力の部分を担ってきたのは男でした。多分男女比9:1くらいではないでしょうか。反対に愛の部分を担ってきたのは男女比1:9くらいで女でしょう。男は男らしく荒事をし、女は女らしく和事をしていた訳です。
それが昨今の男女共同参画の浸透に伴ってその比が変わってきたんですね。荒事に参加する女が増えるに従って和事に参加する男が増えてきていると思います。つまり、女の社会進出で男と同様の仕事を担う女と、綺麗さ優しさ可愛らしさなどを担う男が出てきたわけです。
これは私の当初の予測を大きく裏切るものです。私は荒事に携わる男の割合は変化せず、和事に携わる女の割合も変化しないまま、荒事をする女の割合が増えるだけだち思っていたのです。そして社会全体のポテンシャルも上がるのであろうと。
しかし現実は先に述べた通り、まるで社会全体の荒事の数が決まっていて、分ける相手が変わっただけのようなのです。興味深い現象だとつくづく思います。
平成のトップアイドルAさん達はよく「女子力が高い」と評されています。昭和のアイドルである兄さん達は、料理もお洒落も家事も同じように出来るのに、それを女子力とは言われません。
先ほど、同調圧力と言いましたが、女の理想が和事を担う優しい男が増えることならば、それは日本における男女共同参画社会がある程度成功した証なのだと思います。
その意味では、可愛くてヘタレで綺麗な女子力の高い、男らしさを感じないAさん達は、まさに時代に求められた国民的アイドルなのでしょう。彼らがここ数年、トップを走り続けているのは、社会の当然の要請なのです。
さてそんな時代。我々はどの様に生きていくべきなのでしょうか。些細なテレビのワンシーンから、そんな事を考えてしまいました。
長々とお付き合いありがとうございました。
双極子拝
東京兄さんのM兄ぃの回、K分くんJ島リーダーの回なんかがたのしかったですねぇ。局の関係か、V六兄さんが来た覚えがないように思いますが、それが残念です。S本リーダーが対決番組に出たのがとても楽しかったので是非実現して欲しいなぁ・・・
H山さんが二回目に来た回、H山アニキに突っ込んだり一緒に往年の名曲を踊ると言う企画の日でした。H山さんは私と同世代で、彼の全盛期が丁度青春時代(古いね)に相当します。その頃は「アイドルなんて」と斜に構えていたので全く興味がなかったのです。それでもテレビが文化と情報の発信基地だったあの頃、そんな私でも彼らの持ち歌を歌える位、有名でした。しかし、優男振りがどうにも我慢出来なくて好きではありませんでした。どっちかと言うとむさ苦しいタイプの方が好きだったりw
さて、あの当時ですらS年隊の優男振りが気に喰わなかったと言うのに、Aさん達五人と並べて比べるとH山さんは格段に男らしいことに気付きました。H山さんとAさん達の間にはおよそ20年、二昔の差があります。求められている「理想の男」像の変化が感じられてとても興味深いです。
今も昔もJ'sアイドルの特徴は「中性的で優しい」少女漫画の主人公のような人物です。甘いマスク、すらりとした細い身体、優しい性格で男臭さを誇示せず、その時々で「女の子に都合の良い男の子」であることが求められています。
H山さんとAさん達の決定的な差は「男らしさ」だと思います。
番組を見ていて気付いたのですが、Aさん達って「無理無理」「だめ、できない」ってはっきり言うんですよ。すぐにくっ付いてその後を相談したり、へたれてみせたり。つまり、自分たちの「弱さ」を見せることに全く抵抗がないんですよね。
「男は弱みを見せない」「男は人前では泣かない」「男子に二言なし」「武士は食わねど高楊枝」などなど、昭和の常識で男が持つべきものとされていた「美徳」をほとんど持っていないのです。これらの男らしさ、古来の言葉では「益荒男振り」と言いますが、これは女らしさの基本である「手弱女振り」と対になっています。「夫唱婦随」「女三界に家なし」「男女七歳にして席を同じうせず」「良妻賢母」「女賢うして牛売れず」などなど。
生まれた時から男女共同参画社会だった世代がもう大人になっています。女が強くなるに従って男が弱くなっていったのです。とても興味深い現象だと思います。
日本社会の特徴だと思うのですが、社会にかかる負荷を最小限にとどめようと言う同調圧力が存在するようです。争より和、譲り合いと日和見と性善説のもと、厳しい自然環境の中で身を寄せ合うように自分たちを守ってきた日本人たち。責任を分散しリーダーシップを好まず、出る杭を打って「常識」から外れる者を排除することによって社会を維持してきたのです。これらの特徴は、国際人として恥ずかしいとか国際社会に対応できない古い考え方などど否定的に見られることが多いですよね。でも考えてみてください。上記のような「常識」に従ってやってきた挙句、出来上がったのは、世界一清潔で安全で安定した国です。否定的に捉えること自体がおかしいことをお判り頂けると思います。まあ尤も、否定からの自省が、努力の動機となり、それが日本の発展の牽引力になっているのが否めない点が難ですが。
話が逸れました…
日本社会は自らが負う社会全体のポテンシャルを最小にするような同調圧力を持つのではないかとのはなしでした。
社会の構成要素として、借りに力と愛の二つを考えてみます。力は、権力や政治、産業などを表します。どちらかと言えば、破壊と暴力を伴う建設で、言うならば荒事でしょうか。愛の方は、生殖や保護、社会の安定化を担う優しさの部分で、和事ですかね。
さて、昔から力の部分を担ってきたのは男でした。多分男女比9:1くらいではないでしょうか。反対に愛の部分を担ってきたのは男女比1:9くらいで女でしょう。男は男らしく荒事をし、女は女らしく和事をしていた訳です。
それが昨今の男女共同参画の浸透に伴ってその比が変わってきたんですね。荒事に参加する女が増えるに従って和事に参加する男が増えてきていると思います。つまり、女の社会進出で男と同様の仕事を担う女と、綺麗さ優しさ可愛らしさなどを担う男が出てきたわけです。
これは私の当初の予測を大きく裏切るものです。私は荒事に携わる男の割合は変化せず、和事に携わる女の割合も変化しないまま、荒事をする女の割合が増えるだけだち思っていたのです。そして社会全体のポテンシャルも上がるのであろうと。
しかし現実は先に述べた通り、まるで社会全体の荒事の数が決まっていて、分ける相手が変わっただけのようなのです。興味深い現象だとつくづく思います。
平成のトップアイドルAさん達はよく「女子力が高い」と評されています。昭和のアイドルである兄さん達は、料理もお洒落も家事も同じように出来るのに、それを女子力とは言われません。
先ほど、同調圧力と言いましたが、女の理想が和事を担う優しい男が増えることならば、それは日本における男女共同参画社会がある程度成功した証なのだと思います。
その意味では、可愛くてヘタレで綺麗な女子力の高い、男らしさを感じないAさん達は、まさに時代に求められた国民的アイドルなのでしょう。彼らがここ数年、トップを走り続けているのは、社会の当然の要請なのです。
さてそんな時代。我々はどの様に生きていくべきなのでしょうか。些細なテレビのワンシーンから、そんな事を考えてしまいました。
長々とお付き合いありがとうございました。
双極子拝
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