保持せよ、坊主!
さて、V六兄さんの新曲、きーぽんきーぽん言っているあれの初回限定盤を買ってしまいました。いやぁナニやってんだが。
以下、独断と偏見による戯れ言まじりの感想文です。
以下、独断と偏見による戯れ言まじりの感想文です。
二種類あった初回限定盤のうち、MVとメイキングが付いている方を買いました。「衝撃の問題作」とのふれこみだったので先入観なしで見たかったので先行配信されていた物は一切見ず、いきなりMVを見てみました。
初見の感想は「開いた口が塞がらない」つまり、ぽかーんでした(笑)
連続再生したので、メイキングが流れます。曲作りに参加したそうでメンバーたちが曲に付いて色々と述べています。O田君「てんこ盛り」、N野さん「繋ぎあわせて話を作る作業」
ええっとぉ、と思いながらもう一度。・・・目がぱちくりこ。気を取り直してもう一度。ううーん。これはこれで・・・いい・・・の、かな・・・??更にもう一度。ん?なんか段々馴染んできたかな?最終的には、まあいいのかもコレ・・・いや結構好きだわ、となりました。
しかし、やはり拭えない疑問の数々。コレは一体なんなんだ、と調べてみました。始めに見つけたのは、作詞作曲担当のプロデューサーのインタビューでした→ ttp://natalie.mu/music/pp/v6
これをよくよく読み込んで、大体の疑問は解けました。それから聞き直してみて、ああ結構いい曲だな、そうかこう言うものかと思い始めたわけです。見事に策に嵌ってます。手のひらで踊らされてますよ、私。
それでもまだ判断に自信が持てない私。だって、音楽を聞くって言う趣味が全くないのですから。これを言うと大抵の人にどん引きされるんですが、好きな音楽好きなミュージシャンていたことないんですよ。洋楽もJ-POPも歌謡曲もまったく興味なかったんで、わからないんです。いまアイドルソングに嵌ってるじゃん、と突っ込みが入りそうですが、別に彼らの「歌」に嵌ってるわけじゃないんです。彼らの声を聞くのが主な目的で、音楽として聞いているかどうか定かではありませんから。
で、旦那に聞いてもらいました。旦那は洋楽にどっぷりはまり込んだ男で、嵌りすぎてマニアックな方向へ突き詰めたあげく訳がわからない境地に達してしまった真性オタです。音楽について語り始められるとうざくて敵わない上に全く理解不能なので、それについて話すことはほとんどありません(笑)
聞き終わると、旦那は無言である曲を検索して私に聞かせました。
ク_イ_ー_ンのボ_ヘ_ミ_ア_ン・ラ_プ_ソ_ディです。旦那曰く「伝説の名曲」なのだそうで、それを聞き込んでやっと納得しました。V六兄さんの新曲は「本歌取り」なんですね。
藤原定家の定義からはやや外れますが、本歌を知っていれば誰でもわかり、形式を借りつつ中身は正統派で王道のJ-POPと言う点では、まさに本歌取り。本歌はクラシックの表現を借りた「ロックオペラ」であり、死をモチーフにして生きる意味を問うと言う、反逆の中での自己実現であるロックの王道の、表現の部分をとことんまで突き詰めた芸術性の高い作品です(この辺は素人の意見なので付け焼き刃なのは堪忍してください)。ロック確立以前の音楽表現をロックに取り入れて新しい音楽を作り上げています。
対して本歌取りのこの歌は、フレディが確立した言わば古典ロックの表現を借りた「和製ポップス」で、ロックから派生したポップスに古典ロックを取り入れて新しい音楽を作りたいと言う取り組みに感じました。それが成功しているかどうかは別として、音楽的にはなかなか意気込みを感じる曲作りだと思います。
J-POPってどういうものか、いまいち理解していなかったのですが、この辺りを調べていくうちに何となくわかった気がしました。ヴィーニィ・シュニッツェルからトンカツが生まれたように、ビーフシチューから肉じゃがが生まれたように、RockやPopsやJazzからJ-POPが生まれたのではないでしょうか。もとのものもそれはそれとして魅力的ですが、それの真似から入って姿はよく似ているのに全く違う魂を入れた「和製」は日本人に取って心地よいものに生まれ変わります。明治以来、いやもっと以前から外国の文化を取り入れるのに、我々がずっと使ってきた方法と同じことを、日本はまた音楽に対してもやったのでしょう。
この新曲は、まず静かなラブバラードから始まり、急転して激しいラップになります。次にテクノポップに変わってダンスビートになり、ミュージカルを挟んでもう一度、ダンスビート部分をリピートすると、突然音が止まって静かなアカペラのバラードで消え入るように終わります。
この歌は、作者によるとJ-POP、もっと言うとJ'sの歴史をなぞるようになっているんだそうで、80年代のアイドルの象徴としてS本さんとN野さんを、90年代のそれとして年下三人組を、それを繋ぐ案内役としてIノ原さんを配しています。80年代のふたりは、作者によると「昭和の香り」がするんだそうで、少年達さんや光の君殿の系譜を継ぐ人なのだとか。J-POPが最も華やかだった時代のアイドルである年下三人組との差がはっきり出ていて、しかもグループとしてまとまっているのがとても面白い、と言っていました。
本歌のテーマが「暴力と死」であるのに対し、こちらはJ-POPのお作法通りに「恋と応援歌」です。恋をしたのなら頑張って前に進んで幸せになろう、と言う誠にJ-POPらしい、あるいはJ'sアイドルらしい歌詞とメロディです。RockやRapって、体制への反逆を歌うと言うのが本来の定義だと思ってるんですが、このあたりは和製と化した途端に曖昧になって甘さや切なさ、無情を歌うものになってしまいます。形式だけ英米音楽の形を借りているものの、歌われているのはそれこそ「赤い鳥」の様な叙情や詩の世界です。それこそがJ-POPなのではないかと思うようになりました。
本歌の発表は1975年です。V六の年上と作者さん方が幼児、残り四人が生まれる前だと言うのはとても象徴的です。流行は三十年周期で入れ替わると言う法則があるそうですが、それが流行った頃には赤ちゃんだった彼らが今のこの時代に甦らせたと言うのは至極当然なのかもしれません。これからも是非、意欲的な問題作を作り続けて欲しいものです。V六兄さんをこれからも応援していきたいと思います。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。
ま、少々乱暴な上に結論を急ぎたがるのが私の悪い癖。この程度の認識能力の持ち主なんだと大目に見てください。
ではでは。
初見の感想は「開いた口が塞がらない」つまり、ぽかーんでした(笑)
連続再生したので、メイキングが流れます。曲作りに参加したそうでメンバーたちが曲に付いて色々と述べています。O田君「てんこ盛り」、N野さん「繋ぎあわせて話を作る作業」
ええっとぉ、と思いながらもう一度。・・・目がぱちくりこ。気を取り直してもう一度。ううーん。これはこれで・・・いい・・・の、かな・・・??更にもう一度。ん?なんか段々馴染んできたかな?最終的には、まあいいのかもコレ・・・いや結構好きだわ、となりました。
しかし、やはり拭えない疑問の数々。コレは一体なんなんだ、と調べてみました。始めに見つけたのは、作詞作曲担当のプロデューサーのインタビューでした→ ttp://natalie.mu/music/pp/v6
これをよくよく読み込んで、大体の疑問は解けました。それから聞き直してみて、ああ結構いい曲だな、そうかこう言うものかと思い始めたわけです。見事に策に嵌ってます。手のひらで踊らされてますよ、私。
それでもまだ判断に自信が持てない私。だって、音楽を聞くって言う趣味が全くないのですから。これを言うと大抵の人にどん引きされるんですが、好きな音楽好きなミュージシャンていたことないんですよ。洋楽もJ-POPも歌謡曲もまったく興味なかったんで、わからないんです。いまアイドルソングに嵌ってるじゃん、と突っ込みが入りそうですが、別に彼らの「歌」に嵌ってるわけじゃないんです。彼らの声を聞くのが主な目的で、音楽として聞いているかどうか定かではありませんから。
で、旦那に聞いてもらいました。旦那は洋楽にどっぷりはまり込んだ男で、嵌りすぎてマニアックな方向へ突き詰めたあげく訳がわからない境地に達してしまった真性オタです。音楽について語り始められるとうざくて敵わない上に全く理解不能なので、それについて話すことはほとんどありません(笑)
聞き終わると、旦那は無言である曲を検索して私に聞かせました。
ク_イ_ー_ンのボ_ヘ_ミ_ア_ン・ラ_プ_ソ_ディです。旦那曰く「伝説の名曲」なのだそうで、それを聞き込んでやっと納得しました。V六兄さんの新曲は「本歌取り」なんですね。
藤原定家の定義からはやや外れますが、本歌を知っていれば誰でもわかり、形式を借りつつ中身は正統派で王道のJ-POPと言う点では、まさに本歌取り。本歌はクラシックの表現を借りた「ロックオペラ」であり、死をモチーフにして生きる意味を問うと言う、反逆の中での自己実現であるロックの王道の、表現の部分をとことんまで突き詰めた芸術性の高い作品です(この辺は素人の意見なので付け焼き刃なのは堪忍してください)。ロック確立以前の音楽表現をロックに取り入れて新しい音楽を作り上げています。
対して本歌取りのこの歌は、フレディが確立した言わば古典ロックの表現を借りた「和製ポップス」で、ロックから派生したポップスに古典ロックを取り入れて新しい音楽を作りたいと言う取り組みに感じました。それが成功しているかどうかは別として、音楽的にはなかなか意気込みを感じる曲作りだと思います。
J-POPってどういうものか、いまいち理解していなかったのですが、この辺りを調べていくうちに何となくわかった気がしました。ヴィーニィ・シュニッツェルからトンカツが生まれたように、ビーフシチューから肉じゃがが生まれたように、RockやPopsやJazzからJ-POPが生まれたのではないでしょうか。もとのものもそれはそれとして魅力的ですが、それの真似から入って姿はよく似ているのに全く違う魂を入れた「和製」は日本人に取って心地よいものに生まれ変わります。明治以来、いやもっと以前から外国の文化を取り入れるのに、我々がずっと使ってきた方法と同じことを、日本はまた音楽に対してもやったのでしょう。
この新曲は、まず静かなラブバラードから始まり、急転して激しいラップになります。次にテクノポップに変わってダンスビートになり、ミュージカルを挟んでもう一度、ダンスビート部分をリピートすると、突然音が止まって静かなアカペラのバラードで消え入るように終わります。
この歌は、作者によるとJ-POP、もっと言うとJ'sの歴史をなぞるようになっているんだそうで、80年代のアイドルの象徴としてS本さんとN野さんを、90年代のそれとして年下三人組を、それを繋ぐ案内役としてIノ原さんを配しています。80年代のふたりは、作者によると「昭和の香り」がするんだそうで、少年達さんや光の君殿の系譜を継ぐ人なのだとか。J-POPが最も華やかだった時代のアイドルである年下三人組との差がはっきり出ていて、しかもグループとしてまとまっているのがとても面白い、と言っていました。
本歌のテーマが「暴力と死」であるのに対し、こちらはJ-POPのお作法通りに「恋と応援歌」です。恋をしたのなら頑張って前に進んで幸せになろう、と言う誠にJ-POPらしい、あるいはJ'sアイドルらしい歌詞とメロディです。RockやRapって、体制への反逆を歌うと言うのが本来の定義だと思ってるんですが、このあたりは和製と化した途端に曖昧になって甘さや切なさ、無情を歌うものになってしまいます。形式だけ英米音楽の形を借りているものの、歌われているのはそれこそ「赤い鳥」の様な叙情や詩の世界です。それこそがJ-POPなのではないかと思うようになりました。
本歌の発表は1975年です。V六の年上と作者さん方が幼児、残り四人が生まれる前だと言うのはとても象徴的です。流行は三十年周期で入れ替わると言う法則があるそうですが、それが流行った頃には赤ちゃんだった彼らが今のこの時代に甦らせたと言うのは至極当然なのかもしれません。これからも是非、意欲的な問題作を作り続けて欲しいものです。V六兄さんをこれからも応援していきたいと思います。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。
ま、少々乱暴な上に結論を急ぎたがるのが私の悪い癖。この程度の認識能力の持ち主なんだと大目に見てください。
ではでは。
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