もしも世界が
ノーベル賞やりましたね!嬉しいニュースが立て続けで、なんかもうワクワクしちゃいます。
山中教授についてはもう少し調べてから語りたいと思います。
それについて、思ったことなどを少々。
管理人の知っている範囲で考えたことなので、実際とは違うかもしれませんが、その辺りは多めに見て下さい。
山中教授についてはもう少し調べてから語りたいと思います。
それについて、思ったことなどを少々。
管理人の知っている範囲で考えたことなので、実際とは違うかもしれませんが、その辺りは多めに見て下さい。
今から十年ほど前、世界がもし百人の村だったら、と言うのが流行ったのを覚えてらっしゃるでしょうか。
あれ、色んなパロディが作られて当時出回っていたんですよね。真面目なものも笑えないものも、たくさんあって作者のセンスに感心するようなもの多々ありました。
ここで取り上げるのは、下記のものです。
博士が100にんいるむら
www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html
これが発表された当時は(ごく一部の業界で)非常に話題となりました。ちょっと読むのが面倒くさい人のために、要約すると、
もしも世界が百人の博士が住む村だったら。
そのうちの、
16人は医師です
14人は大学の先生になっています
20人はポスドクになっています
8人は会社に勤めて
11人は公務員になります
7人は他分野へいってしまいます
残りの24人のうち16人は無職です
そして、最後の8人は行方不明か死亡しています
てな内容です。2000年代初めから科学技術の遅れに対して国家的プロジェクトで後押しをしようと、大学院拡充計画を奨め始めました。欧米の大学に比べ、博士号取得者が少なく時代のかかぐ研究をになう人材が育っていない、と言うことで大学院への助成をはじめたのです。
取り敢えず、博士号取得者を増やせばよいと言うことで、どこの研究室も積極的に博士課程の学生を受け入れ、博士の育成に取り組んだのです。日本では、研究者と言うのは大学の教員をやるか研究所に就職するかのどちらかしか働く道がありません。企業の研究所などもあるのですが、分野によっては全くものの数に入らないくらい募集は少ないのです。
博士だけ増やしても就職先がなければ誰も大学院なんか行きません。就職難に陥った大量の博士たちを救うために次に政府がやったのは「ポスドク一万人計画」です。ポスドクと言うのは Postdoctral Fellow のことで、数年間の短期の研究職です。まあ契約社員です。短い年数とは言え、研究一本の生活が出来るので実績を上げたい新卒にはありがたい制度ですし、人脈作りにも役立ちます。
これで博士たちの就職難は一応先送りが出来ました。が、当然先送りですから期限が来ます。ポスドクの期間が終わった人たちの受け入れ先は当然ありません。またポスドク一万人計画をはじめた頃、時期を同じくしてヨーロッパで研究職の大幅な削減が行われました。職を探してヨーロッパの若手も日本にやってきて日本人とポストを争うことになります。伝統もあり厳しい環境の中で揉まれた彼らは優秀です。英語も堪能ですし海外との交流は全体レベルの底上げ効果が期待出来るので、むしろ歓迎されていました。これでまたポストが減るわけです。
同じ頃、中国が高等教育の普及政策をはじめました。国内に学校を作り優秀な人材を自国内から輩出しようと言うわけです。博士号は、博士からしか貰えないんです。博士号を持った人が審査して博士号授与が決まるのです。つまり博士号を持つ人間がいないとそもそも大学を態をなさないことになります。そこで、大量の留学生が中国国内から旅立ちました。主流は欧米ですが、近くて入りやすいことから日本の大学へも多くの留学生が来たのです。この留学生たちの中には、そのまま残って研究を続ける人も多く、日本で就職する人もたくさんいたのです。
更に追い討ちをかけるように、大学の独法化と研究職任期制が始まりました。つまり、研究職に安定な終身雇用が見込めなくなってしまったのです。その時点で学生だった人はまだ方向転換出来たのでしょうが、ポスドクはそうはいきません。大学の教員も研究所の研究員もみんな数年間の任期付きポストばかりになってしまいました。
そして失われた二十年、民間企業では自社内で研究開発する余力などなく、ここでもポストはありません。
こうして大勢の博士たちが就職難民となって溢れ返りました。任期付きの仕事を渡り歩き、時には無職期間があったりして、研究と就職活動に追われているうちに高齢化して仕舞い、正規雇用の職につく機会を失ってしまったのです。
上記の「百人の村」はそうした状況を揶揄したものです。
この話が作られたのは十年近く前で、今の状況は少し変わっていますが、正規雇用の道が少ないのは同じです。まあ実際には「無職」と言うのは「求職中」って意味ですし、「行方不明」と言うのは学界で把握出来なくなった=学界と縁のない生活をしていると言う意味ですから、童話にあるように8%もの博士が死んでいるわけではありません。
さて、上記のような環境、かなり非道いものだと思われることでしょう。実際、中の人間は堪ったものではありません。しかし、ここ数年の日本の科学界での成果を見ていると、正しかったのではないかとも思うのです。
光格子時計、ウナギの産卵、レアアースの代替、iPS細胞、藻類バイオ燃料、小惑星探査機はやぶさ、金星探査機あかつき、H2型ロケット打ち上げ、準天頂衛星みちびき、深海探査と世界的に見ても重大な成果は枚挙に暇がありません。
希望すれば誰でも研究職になれた時代と違って、今の中堅研究者達は厳しい競争を勝ち抜いた精鋭中の精鋭たちです。任期付きの職を海外で経験するのは当たりまえ、ネイティブ並みの英語力、最前線で即戦力となる技術力、独自の研究を進められる発想力と、多くのものを兼ね備えた人材しか生き残れません。
切磋琢磨すると言うことは、たくさんの削り滓が出ることでもあります。
高い建物には広い土台が必要です。ピラミッド型に積上っているからこそ、頂上が安定なのです。
それを無駄と言うべきか、余裕と言うべきか。
立場によって色々ですね。
ノーベル賞のニュースを聞きながら、そんなことを考えた一日でした。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。
双極子拝
あれ、色んなパロディが作られて当時出回っていたんですよね。真面目なものも笑えないものも、たくさんあって作者のセンスに感心するようなもの多々ありました。
ここで取り上げるのは、下記のものです。
博士が100にんいるむら
www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html
これが発表された当時は(ごく一部の業界で)非常に話題となりました。ちょっと読むのが面倒くさい人のために、要約すると、
もしも世界が百人の博士が住む村だったら。
そのうちの、
16人は医師です
14人は大学の先生になっています
20人はポスドクになっています
8人は会社に勤めて
11人は公務員になります
7人は他分野へいってしまいます
残りの24人のうち16人は無職です
そして、最後の8人は行方不明か死亡しています
てな内容です。2000年代初めから科学技術の遅れに対して国家的プロジェクトで後押しをしようと、大学院拡充計画を奨め始めました。欧米の大学に比べ、博士号取得者が少なく時代のかかぐ研究をになう人材が育っていない、と言うことで大学院への助成をはじめたのです。
取り敢えず、博士号取得者を増やせばよいと言うことで、どこの研究室も積極的に博士課程の学生を受け入れ、博士の育成に取り組んだのです。日本では、研究者と言うのは大学の教員をやるか研究所に就職するかのどちらかしか働く道がありません。企業の研究所などもあるのですが、分野によっては全くものの数に入らないくらい募集は少ないのです。
博士だけ増やしても就職先がなければ誰も大学院なんか行きません。就職難に陥った大量の博士たちを救うために次に政府がやったのは「ポスドク一万人計画」です。ポスドクと言うのは Postdoctral Fellow のことで、数年間の短期の研究職です。まあ契約社員です。短い年数とは言え、研究一本の生活が出来るので実績を上げたい新卒にはありがたい制度ですし、人脈作りにも役立ちます。
これで博士たちの就職難は一応先送りが出来ました。が、当然先送りですから期限が来ます。ポスドクの期間が終わった人たちの受け入れ先は当然ありません。またポスドク一万人計画をはじめた頃、時期を同じくしてヨーロッパで研究職の大幅な削減が行われました。職を探してヨーロッパの若手も日本にやってきて日本人とポストを争うことになります。伝統もあり厳しい環境の中で揉まれた彼らは優秀です。英語も堪能ですし海外との交流は全体レベルの底上げ効果が期待出来るので、むしろ歓迎されていました。これでまたポストが減るわけです。
同じ頃、中国が高等教育の普及政策をはじめました。国内に学校を作り優秀な人材を自国内から輩出しようと言うわけです。博士号は、博士からしか貰えないんです。博士号を持った人が審査して博士号授与が決まるのです。つまり博士号を持つ人間がいないとそもそも大学を態をなさないことになります。そこで、大量の留学生が中国国内から旅立ちました。主流は欧米ですが、近くて入りやすいことから日本の大学へも多くの留学生が来たのです。この留学生たちの中には、そのまま残って研究を続ける人も多く、日本で就職する人もたくさんいたのです。
更に追い討ちをかけるように、大学の独法化と研究職任期制が始まりました。つまり、研究職に安定な終身雇用が見込めなくなってしまったのです。その時点で学生だった人はまだ方向転換出来たのでしょうが、ポスドクはそうはいきません。大学の教員も研究所の研究員もみんな数年間の任期付きポストばかりになってしまいました。
そして失われた二十年、民間企業では自社内で研究開発する余力などなく、ここでもポストはありません。
こうして大勢の博士たちが就職難民となって溢れ返りました。任期付きの仕事を渡り歩き、時には無職期間があったりして、研究と就職活動に追われているうちに高齢化して仕舞い、正規雇用の職につく機会を失ってしまったのです。
上記の「百人の村」はそうした状況を揶揄したものです。
この話が作られたのは十年近く前で、今の状況は少し変わっていますが、正規雇用の道が少ないのは同じです。まあ実際には「無職」と言うのは「求職中」って意味ですし、「行方不明」と言うのは学界で把握出来なくなった=学界と縁のない生活をしていると言う意味ですから、童話にあるように8%もの博士が死んでいるわけではありません。
さて、上記のような環境、かなり非道いものだと思われることでしょう。実際、中の人間は堪ったものではありません。しかし、ここ数年の日本の科学界での成果を見ていると、正しかったのではないかとも思うのです。
光格子時計、ウナギの産卵、レアアースの代替、iPS細胞、藻類バイオ燃料、小惑星探査機はやぶさ、金星探査機あかつき、H2型ロケット打ち上げ、準天頂衛星みちびき、深海探査と世界的に見ても重大な成果は枚挙に暇がありません。
希望すれば誰でも研究職になれた時代と違って、今の中堅研究者達は厳しい競争を勝ち抜いた精鋭中の精鋭たちです。任期付きの職を海外で経験するのは当たりまえ、ネイティブ並みの英語力、最前線で即戦力となる技術力、独自の研究を進められる発想力と、多くのものを兼ね備えた人材しか生き残れません。
切磋琢磨すると言うことは、たくさんの削り滓が出ることでもあります。
高い建物には広い土台が必要です。ピラミッド型に積上っているからこそ、頂上が安定なのです。
それを無駄と言うべきか、余裕と言うべきか。
立場によって色々ですね。
ノーベル賞のニュースを聞きながら、そんなことを考えた一日でした。
長文にお付き合い頂きありがとうございました。
双極子拝
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